ウーマン村本で表出した、日本社会がいつまでたっても成熟しない理由「言っちゃいけない⇒無知=恥=意見を言わない=考えない」

 

ウーマン村本は賢い

賢いとは知るか知らないかではない

下記記事を読んだ感想です。
袋叩きも…元旦『朝生』のウーマン村本は全然間違っていない! 本当のバカは三浦瑠麗と落合陽一だ

http://lite-ra.com/i/2018/01/post-3711-entry.html

ポジショントークしかしていない出演者
と違い、自らの考えを述べる村本の言葉で
化けの皮が剥がされる知的な出演者たち

最も重要なことは、結論ではなくて
テーマ選定(問の立て方)にある

単純に、スタートと方向性を間違えれば、ゴールを間違えるのである

ちなみに、このテーマに沿ったシナリオにも
弁証法を当てはめられます(まあ、討論だもんね)

これに対しての対処策として、村本がやったように
「そもそもの話」「次元を下げる」が非常に重要だ


どのように視聴者に思わせたいか、という
前提の意図→テーマに沿ったシナリオ(出演者の討論)から、あえて次元を下げるという手法で

出演者(というより番組演出家)のシナリオから
はずれようとする村本を袋叩きにするものの、
想定してない話をされてか、筋がずれずれ

この出演者達を見れば分かりますが
建設的な話し合いによって、新しい見地を見付ける事
に重きを置かず、話をコントロールして主導権を握りたいと
根底で考える人達の特徴(特に田原総一朗)は

「責め立てる口調」

「進めたい方向性は前提のテーマとして共有しながら賛成反対を述べる」

「相手の意見を握り潰す(可能性をすべて潰す)」

「抽象的な概念は話さず、具体的な話しか表にしない」

「反対意見に中身がなく、討論する目的がずれて意地と自己顕示欲を満たすことに目的の重きを置く」

(この例で言えば、知らない=意見を言う資格はない恥ずかしい人=だから不相応な事だ、言うなという印象づけ。

知らないから意見を述べない、これこそ無知な人を増やし一辺倒の答えしか生まれず社会が成熟しない一つの要因になっていると思います。

間違いなんてないのだから、恥じて隠さず意見を述べてもいいし、結論づけないで、少数派、多数派、異端、含めて
他の人から話を聞いてから決断することも大切。

また、話を聞く側がどれだけの既有知識をもっているか?を踏まえないで話をしては、ついていけない人がいるのも当然

池上彰が流行った経緯はここにあると思う。

討論番組はサラリーマンなどを対象にしており
特にサラリーマンは本質的な概念よりも
表に出ている具体的な事や話(ノウハウ等)
固執する癖がある人が多いと思います

この場合は、テーマ選定と目的が抽象、討論の中身が具体と考えて頂けると
分かりやすいと思います

抽象⇔具体をどちらも大切にしながら
結論を急ぎすぎず見聞を深め続けること

それが人が自らの答えを培い成長する最短の
遠回りだと思います(アイデンティティの確立)

抽象に偏り過ぎれば、スピリチュアルや自己啓発オタクになり過ぎて現実を直視できなくなり、
具体に偏り過ぎれば、本質を見失い、盲目なネトウヨ2ちゃんねらーみたいになったりします

(これら全てのカテゴリに属する人達が悪いと言っている訳ではなく、傾向としての例で
あくまで、一個人としての意見を書いているだけなので誤解なきようにお願いしますm(__)m)

一攫千金的発想ではなく、どこに結果を置きたいかという 概念的な目的意識と具体的に現実を変えられる行動を歩むプロセスが大事!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

これは皮肉にも、秩序を形成する支配者達を知ることで 学んだことです。彼らのパターンは唯一不変の技術です

そして、それを暴く術が最もたけた人物は思うにイエス仏陀、哲学者や科学者等の偉人です
(それをまた、うまく利用している人達がいるのは事実ですが)