伝えない事による良心の呵責からの脱却

 

世の中を知るほどに
目を背けたくなる現実を多く知ります

それらの一部を伝えると

「希望を持て、悲観的に考えるのはよくない」

多くの人はこのように返答します

自分を気遣って話をしてくれている方は
お心遣いは大変ありがとうございました

(というより、話す事で怖い思いをさせる可能性がある事を知りながらも、不安にさせる言動を取ったことについてはすみませんでした)

ですが、自分はこう思います
知る事は希望を持つ事につながると

希望とは

「ポジティブでネガティブな現実を覆い隠し現実逃避する為の幻想」ではなくて

「自分に何が出来るか、現実を知り、考え、ポジティブに行動する事で得られる付加価値」だと

時には逃避してもいいと思います

心身を整えなければ万事物事はうまく運びませんから、悪影響は避けるべきだと思います

しかしながら、あなたはそれが、自分や家族や友人の命や人としての尊厳に関わる事柄であったとしても現実から目をそらしますか?

私はそらすことは出来ませんでした

知らない方が幸せか?
知って受け入れる心の準備をする事が幸せか?

誰かに話をするときは常に考えます

自分は後者でした

知らないままで被害者になれば、その被害者は新たな加害者となって更に被害者を生みだします

被害者は、なぜ自分が被害を被ったか知ることもないまま、加害者となって別の被害者を生み出している事に気付くことすらもできない 

自分は、被害者にも加害者にもなりたくありません
知る事でそれを食い止められるようにしたい

自分は、勝手で煩悩だらけのただの人間ですが

知り得た事を意見として伝えない事による
良心の呵責に苦しみたくはなかった

ですが、それはもうやめます

効果のない事だと知ったからです

恐怖を感じて拒絶されてしまえば、
内容を聞いてもらえません。意味がない

皆さんの心に留まる言葉を残せていない
自負がありました、それは自分の伝え方に落ち度があります

ただ、恐怖について伝えたい事は

恐怖の罠に陥ってしまえば
無限回廊で迷い続ける事になります

具体的には、恐怖によって

「知る事を放棄する」「一定の行動に制限される」
「言う事を聞かせる」「自立心を奪われる」

これらの状態になる事を意味しています

それに利用されるか、されないかを選択するのは
あなたの精神次第だと思います

自分は恐怖により行動の選択が制限されるのが
嫌でした

ですが、世の中は恐怖の活用によって
巧妙に支配されています

何故か。それは、合理的な方法だからです

恐怖は「敵」ではありません
敵と思うと余計に罠に陥る

自分は、この罠に陥いる事が度々あります
今は思います

生き物として必要だから備わっている感覚であり
捉え方によれば

不安は、行動を起こす衝動になり
恐怖は、身の安全を守ろうとさせるものだと

敵味方という考え方は、争いを招き
争いはエネルギーを無駄に消耗します

好ましくない

恐怖や不安を認めること調和によって和らげる
という選択をとりながら

不安は行動の活力に恐怖はコントロールして
抑制する事ができる人になり、頭でっかちに
ならないように腹で話せる人になろうと思います